ポリーナ、私を踊る 鑑賞♪
ボリショイ・バレエ団のバレリーナを目指すロシア人の少女ポリーナが、コンテンポラリーダンスと出会い、葛藤、苦悩しながら自分のダンスを見つけていく映画。良かったです。最後のダンスも美しかった。
監督のインタビューより
「フィクションの人生の軌跡に、現実の世界をきちんと反映させることでした。身体の制限、ダンサーとしての学び……新人ダンサーである彼女が経験することは、すべて現実にもありえること、けっしてフィクションではないのだと特徴づけたかったのです。つまり、この映画は一人の女性ダンサーを描いてはいるけれど、どんな若者も体験する解放と自己実現の物語なのです」
「私自身は、その移行を強調する意図はあまりありませんでした。よく言われる、古典は窮屈で、コンテンポラリーは自由という先入観は本当ではないと思うからです。古典の規律や窮屈さは、むしろ自由をもたらすのです。古典のテクニックを極めたダンサーは、やがてテクニックを超えて自由になれる可能性を持っている。逆に、コンテンポラリーの自由さを表現するためには、厳格さ、テクニックが必要なんです。この映画で示したかったのは、いくつかの状態、流派を経験することによって、最終的にポリーナが自分の振付に必要なテクスチャーを手に入れる過程なのです」
監督のインタビュー全編はこちらから。
コンテンポラリーダンスの道に進んだポリーナの中に、バレエのボジンスキー先生の教えは深く生きていたように思います。古典とコンテンポラリーはクラシックとジャズの関係に似ているかもしれません。
クラシック音楽は、一般的に規則や規律が多く、楽譜通り演奏するというイメージがありますが、突き詰めていくと自由と即興性が最も大切な音楽でもあるのです。
僕が大好きなジャズピアニスト、ビル・エヴァンスは小さな頃からクラシック音楽を学んでいます。ラヴェルやドビュッシーの和声の影響だけでなく、彼が紡ぎ出す音楽の本質的なところに大きく関わっているように思います。教員養成大学で音楽教育を学んでいたというのも興味深いですね。
ホロヴィッツの言葉
「音楽が優れていればいるほど様々に光を当てることが可能になる。フレーズの一つひとつに無限のタッチとテンポの可能性がある。芸術家は自分の選択が最良であり唯一であることを確信しなければならない。しかし根底では、解釈とは他の可能性を犠牲にする選択に過ぎないということもわかっていなくてはならない」
アントン・ルビンシテインの言葉
「真実は一つである、しかし可能なものには多くのことが許されている」
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