ピアノを演奏するとは♪
ピアノを演奏するということについて、考えてみました。
1.楽譜と真摯に向き合うこと。
楽譜は、偉大な音楽家が僕たちに残してくれた唯一無二の贈り物です。歴史的建築、美術作品、文学にも同様のことが言えますが、あらゆる時代を超えて風化せずに残ってきたということは、大変尊いことだと思います。楽譜からどのような音が求められているのか、この記号を書いた意図は何なのかと徹底的に向き合い、考え抜くことが大切です。偉大なロシアのピアニスト、ソフロニツキーの「一音一音考えながら弾いている」という言葉を深く胸に刻んでおきましょう。
2.耳でよく音を聴くこと。
ピアノは調律されていれば、ヴァイオリンのように音程を自分で作る必要もなく、ひどい音が出ることもありません。ピアノは(ある意味では)音を簡単に出すことができます。しかし、ここが落とし穴だとも言えます。ピアノの表現力を追究しないと、右手と左手のバランス、ソプラノが出ていれば良いだろうと言うように、ある程度のところですぐに満足してしまうのです。偉大なロシアの音楽家、アントン・ルビンシテインが言った「ピアノは100の音を出すことができる」この言葉は心に強く留めておくべきでしょう。良い音と悪い音の違いとは、充実した音の響きとはということを常に耳で厳しく聴き、考え抜くことが大切です。また、本物のレガートとは奥が深く、(ハンマーで弦をたたいて音を出す仕組みの)ピアノで歌うように演奏することは大変難しいのです。
3.身体感覚を研ぎ澄ますこと。
身体や手の構造は一人ひとり異なります。良い音が出せた時、集中して弾けた時、どのような身体状態だったかということを試行錯誤し続けることが重要です。その積み重ねこそが、想像した音を出せるようになることであり、今まさに生み出されたような瑞々しい演奏をできるようになることに繋がっていくのです。これまで散々言われてきたことですが、(再度言いましょう)タッチが非常に大切なのです。指の腹を使い、鍵盤の感覚をよく感じること。これが(ある意味)音色の全てを決定づけていると言っても過言ではないでしょう。そして、弱い音でも必ず音に芯があること、大きな音でも豊かな音であること、つまり常に充実した響きが求められているのです。指使いに関しても、万人向けと言うものはありません。なぜなら、最初に書いたように一人ひとり身体、手の構造が異なるからです。指使いについて詳しく知りたい方は、下記の記事をご参照下さい。ドビュッシーが大切なことを全て述べてくれています。指使いは奥が深く、発見する時間は楽しいと思えるようになると良いと思います。
4.人間として成長すること。
音とは(ある意味で)抽象的なもので、音楽は言葉では表すことのできないものを表現するものです。つまり、表現するには自分の内側に確固たる哲学や信念、豊かな感情がなくてはなりません。そのためには、様々な本物に出会い、感情が揺り動かされる経験を多く重ねることが大切です。素晴らしい演奏、雄大な自然、美術作品、美しい街なみ、建築、文学、映画、ドキュメンタリー、そして、賢者に学ぶこと。僕たちが経験していない、または経験することができないことを沢山教えてくれます。一つのことを深く掘り下げていくと、それから波及して多くのことを学ぶことができます。ピアノを学ぶことを例にしても、作曲家について(伝記だけでなく、作曲家の残した手紙や友人の証言、美学についてなど)、楽譜について、表現について、演奏家について、本番について、身体の使い方について、練習について、ピアノの構造について、他の芸術との関わりについて、歴史的な出来事との関わりについて、そして人間と音楽について…など学びには終わりがありません。そして一つ確実に言えることは、ピアノの演奏を聴けばどんな人間か分かってしまうということです。その人間の持つ素晴らしい部分も、汚い部分も全て出てしまうのです。こうも言い換えることができるでしょう。音楽=人間教育である。僕自身もピアノを、音楽を学び、教育に深く関わっているので強い確信を持って言えます。
ピアノは一生を懸ける価値があります。少しずつでも本物に近づいていきたいですね。
佐藤雄紀
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