指使い♪
作品のあるべき姿を表現するために、とても大切な指使い。
人それぞれ手の構造が異なるので、万人にとって良い指使いというものはありません。しかし、作曲家が残してくれた指使いは大変貴重な資料になります。
作品と向き合う中で、自分の手と相談しながらこれだ!という最高の指使いが見つかった時は、とっても嬉しいんですよね。今までの経験が凝縮されたものであり、僕が楽譜に書き込む唯一のものであり、意外と好きな工程の一つでもあります。偉大な作曲家達も指使いについて以下のように述べています。
フレデリック・ショパン
「指の数だけ音色も違うものである。すべては運指法の[指を用いることの]熟達にかかっている。」
クロード・ドビュッシー
「この練習曲集には故意に指使いをつけなかった。それは簡単にいえば次のような理由からである。
人は皆手の形が違うので、一定の指使いを皆に強制するのは理屈に合わない。
現代のピアノ奏法では、これについて幾つもの指使いを重ねて書き込むことによって解決したと信じてきたが、いたずらに煩雑になって混乱を招くだけである。
…それでは音楽というものは、ある説明しがたい現象によって、指の本数を増やさなければならぬという、奇怪な手術を受けたかの如き観を呈するようになる…
モーツァルトのごとき早熟な鍵盤楽器奏者は、和音の全部の音を弾けないときには、鼻で音を出すことを考えたというが、それでは問題の解決にはならないし、そんなことは多分、熱狂的すぎるモーツァルト研究者の想像に基づくものでしかないのではなかろうか。
我が古き巨匠達は指使いのことなど少しも気にかけなかった。
これは、疑いもなく彼らが同時代の人々の工夫力に非常な信頼をおいていたからに他ならない。
よって、現代の大家のそれを疑うのは、心なき仕業といわなければならないだろう。
結論を言えばこうである。作曲家が指使いを指示しないのは、演奏者にとってすぐれた練習になるし、とかくわれわれが原作者の指使いを無視しがちな反抗の精神をおさえ、”天は自ら助くるものを助く”という永遠の格言を証明することとなろう。
さあ、自分で指使いを探そう!」
指使いは奥が深い。
そして、それを発見する時間は楽しい。
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