一九八四年&若き芸術家たちへ ねがいは「普通」読了♪
ピアノの切れた弦を直して頂いている間に、以前からゆっくり読んでいたジョージ・オーウェルの「一九八四年」読み終えました。全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている小説で、現代社会にも多く繋がるところがあり、考えさせられます。
よく出てくる党のスローガンが本当に怖い。
戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり
「若き芸術家たちへ ねがいは「普通」」は彫刻家の佐藤忠良先生、画家の安野光雅先生の対談本です。目白大学の選書で学生におすすめしたので、改めて読み直してみました。見る、感じる、表現、自然、教育、品格など人間にとって根源的なことをユニークな対談から改めて考えることができます。やはりその道を極めようと歩み続けた人の言葉は本当に素晴らしいです。
「気品のないもの、隣人への配慮のないものから本物の芸術は生まれてこない」
「(子どもに)分からなくてもいいから、本物を見せなくちゃいけないとわたしは思う」
「人間の顔はその人の表札です。そしてやはり、地位や名誉の有る無しにかかわらず、中身のある心のいい人が、いい顔をしています」
「ここからパリは地続きだから、歩いて行こうと思った」
「人の顔をつくるときは、その人の怒りや喜びや過ごしてきた時間、過去と現在と未来までも、時間性を粘度の中にぶち込もうとする。それが彫刻家の苦しさだと思う」
「わたしたち彫刻家のやっているのは、粘度をこねて、恥かいて、汗かいて、失敗して、やり直す、職人の仕事なんです」
0コメント